○ 本門寺門前
・元禄9年道標
・明治8年の町屋建築
・霊山橋と題目塔
○ 車坂
○ 星亨の墓
池上道(平間街道)に所在する藤乃屋(葛餅屋)の玄関前に元禄9(1696)年銘の道標があります。
(正面)「南無妙法蓮華経 元禄九丙 題目講中 三十人」
(右面)「是与りひ多り か王さきみち」
「古川道」
(左面)「是与りみき こすきみち」
「新た道」
明治8(1875)年に建て替えられた町屋建築で、当初は茶屋だったころの様子を今に伝えています。
本門寺参道と池上道(平間街道)の交差する角地に茶屋があるのが江戸名所図会でもわかります。
霊山橋で呑川を渡ると左右に塔頭が立ち並ぶ寺域に入ります。
題目塔は、江戸名所図会に描かれた場所に昔から建っています。
「江戸近郊八景之内 池上晩鐘」(広重 天保9(1838)年)
池上本門寺の96段ある石段坂、総門、本堂、五重塔が見えます。
題目塔部分を抜粋します。
<題目塔>
霊山橋の手前に文化8(1811)年銘の建題目宝塔「南無妙法蓮華経」があります。
右「一天四海皆帰妙法」、左「天下泰平国土安穏」
江戸時代、荷車を通す坂ということで車坂と呼ばれるようになったと考えられています。
江戸時代にはすでにあった古い坂道です。
<車坂標柱>
「車坂(くるまざか)」
「『新編武蔵風土記稿』に「車坂、経蔵の背後の坂なり」とあり、また、「池上長泉山本門寺記」天明元年(一七八一)には、車坂が描かれている。
昔からある古い坂道である。」
「昭和六十一年三月 大田区」
<本門寺車道>
昭和33(1956)年に設置されています。
車坂の途中に、伊藤博文とともに立憲政友会を結党する等の政治活動を行った「星亨」(ほしとおる)の墓所があります。
田山花袋も「一日の行楽」で星亨の墓に言及しており、訪れたようです。
<明治43年銘の道標>
「星先生墓道
田屋豊松石墓道」
※ 田屋豊松は星派の自由党壮士で、新富町の芸者を巡って争っていた同じく星派の自由党壮士である川上行義に。
明治42(1909)年、政友会創立十周年記念会会場で刺殺されています。
<星亨之墓>
「星亨の肖像」(近世名士写真其2 昭和10年)
星亨(ほしとおる)嘉永3(1850)年4月〜明治34(1901)年6月21日
<陸奥白河藩阿部家の墓所>
星亨の墓の奥にあります。