Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 市川真間駅周辺

  ○ 鏡石
  ○ 庚申塔道標
  ○ 本多貞次郎君寿像
  ○ 旧京成電鉄社員倶楽部
  ○ 市川真間駅


鏡石 市川市真間1-11-1

 市川真間駅南口の線路沿いに、鏡石があります。

    
 

<鏡石の由来>

(説明板)
「鏡石の由来
 この石は、もと弘法寺から国分寺に向う道筋の、平川にかかる橋の袂にあったものです。天保七年(一八三六)に出版された江戸名所図会には「鏡石」として石橋の際の水中にあり。この石根地中に入る事その際をしらず。故に要石とも号くといへりと証明しています。この石が要石だとしたら動かすことはできないはずです。ところが江戸名所図会にある鏡石の付近に、夫婦石が祀られていたという言い伝えがありました。夫婦石というのは、男女の性器に似た石を並べ、その年の豊穣を祈願したものでわが国では古くから行われていた風習なのです。もし、この石が夫婦石の片割れであったとしたら、女性を象徴したものになります。石の凹んだ面に水を溜れば、水鏡となって顔を映すことができます。「鏡石」の名はここから起こったもので、夫婦石は動かしてはならぬところから、「要石」とも呼ばれたものと思われます。」

  
 

<江戸名所図会>

 挿絵には、「真間の弘法寺より國分寺へ行方の田畔石橋の傍小溝の中にあり
 土人云此石根地中に入る其際をしらず 依要石とも号くるとなり」とあります。

  
 

<道標> 市川市新田5-5

 道標や破損した石造物があります。
 道路には市川市マンホール蓋。

    


庚申塔道標 市川市市川1-25-1

 側面が道標となっている天明元(1781)年銘の青面金剛庚申塔道標です。
 市川真間駅の南、千葉街道沿の歩道にあります。

    

 (正面) 「青面金剛」と陰刻。最下部に「三猿」の陽刻
 (左側面) 「西」「西 市川八丁 江戸両ごく三リ十丁」「北 真間寺七丁 国分寺十二丁」
 (右側面) 「東」「八わた十六丁」「中山一リ」「市川新田 天明元年丑五月吉日」

     


本多貞次郎君寿像 市川市真間1-9-10

 市川真間駅北口に「本多貞次郎君寿像」の銘版があります。
 大正11(1922)年10月に、本多貞次郎君寿像が建てられましたが、戦時金属供出で銅像は撤去されています。
 現在は、台座にあった銘板を活かした顕彰碑となっています。
 右の銘板には「本多貞次郎君寿像」とあり、左の銘版には徳富蘇峰による撰文が刻まれています。
 本多貞次郎は、京成電鉄の初代社長で市川市の市長も務めた人物です。

    

    
 

旧京成電鉄社員倶楽部 市川市真間1-9-10

 昭和4(1929)年に「京成電気軌道社社員倶楽部」として建てられ、
 竣工後まもなくして葛飾瓦斯(現京葉ガス)の本社屋として使用、
 現在は個人の住宅として使用されています。

  
 

市川真間駅

 市川真間駅のホームにある絵です。

  


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