○ 広尾水車跡/山下橋
○ 表参道まちかど庭園/参道橋親柱
○ 原宿橋
○ 竜岩寺
○ 勢揃坂
渋谷川にかかる山下橋(かつて水車橋)脇に、かつて玉川家の水車がありました。
この水車は「広尾水車」または「玉川水車」と呼ばれ、江戸名所図会に「広尾水車」と描かれ、
葛飾北斎の富嶽三十六景に描かれた「穏田の水車」とともに、江戸の有名な水車となりました。
玉川家は玉川上水を開発し、この地に屋敷を与えられました。
玉川家には、八代将軍吉宗が広尾に鷹狩りの際立寄って休息したといわれています。
臨川四季の森に説明板「広尾水車跡」が設置されています。
<臨川四季の森>
(説明板)
「広尾水車跡 広尾五丁目23番
この区立臨川四季の森公園のあるところは、渋谷川から引き入れた水力で水車が回っていたところです。
この水車は、「広尾の水車」と呼ばれ、江戸時代中期頃にかけられたもので、区内に数多くあった水車のなかで最も古く、規模の大きいものでした。
その主な用途は、麦や米を搗くことに用いられていました。
ここは、将軍徳川吉宗が広尾原(現・都立広尾病院跡付近)での鷹狩りの途次に立ち寄って、休息したことから有名になりました。
水車は、安藤広重の『江戸名所図会』にも描かれるなど、当時は名所として位置付けられていたことがわかります。その絵には、渋谷川が堰き止められ勢いよく水車を回した水が、再び渋谷川へ落とされている様子が描かれています。
水車は、電化の波に押され、効率性や維持の面から次第に衰退しはじめ、大正初期には廃止となりました。
渋谷区教育委員会」
「江戸名所図会 広尾水車」
水車橋と水車が描かれています。
「狂歌江都名所図会 一本松 水車」(広重)
水車橋と水車が「江戸名所図会」に描かれています。
現在の渋谷川に架かる山下橋です。
渋谷川上流です。右側が水車のあった臨川四季の森です。
渋谷川下流
表参道に「参表道まちかど庭園」があり、説明板「参表道まちかど庭園」が設置されています。
また、参道橋親柱が残されています。
(説明板)
「道路のみどり 表参道まちかど庭園
今、渋谷川は遊歩道の下となり、参道橋の石碑だけが当時の面影を残しています。
この川は、明治時代中期まで「富嶽三十六景」にも描かれたほど、水車を使った精米業が盛んに行われていました。
時代の先端をいく表参道の町並みとは対照的に、古き時代を思わせる原宿が、ここにあると感じるのではないでしょうか。
「道路のみどりを大切に」 穏田の水車(葛飾北斎画)
東京都第二建設事務所 TEL3774-8713補修課 管理番号1997-3413-0003」
「富嶽三十六景 隠田の水車」(葛飾北斎 国立国会図書館蔵)
葛飾北斎が描いた水車は、鶴田橋(神宮前六丁目〜五丁目)の南にあった鶴田氏が経営する水車でした。
水車と富士が描かれています。水車は骨組みが細かく描かれています。
人物は、洗い物をする女たち、米を水車小屋に運ぶ男たち、亀を散歩する子どもは水浴びをさせようとしています。
現在の原宿とは思えないのどかな光景です。
「絵本江戸土産 青山隠田」(二代広重)
水車小屋と水車も描かれています。
挿絵には「青山穏田 此四辺半農半商うち交りたる地にて最昿やかなり 春の野かげに出たらんには忽地気鬱を散ずべし」とあります。
表参道まちかど庭園に参道橋親柱があります。
神宮前3丁目28と神宮前3丁目29の両側に原宿橋親柱があります。
「原宿橋」「昭和九年五月竣功」
渋谷川は暗渠化され「旧渋谷川遊歩道」として整備され、原宿橋以南がキャットストリートと呼ばれれています。
古碧山龍巌寺と号します。
熊野神社の別当浄性院が神仏分離令により廃寺となったことから大師堂が移され、御府内八十八ヶ所霊場9番となっています。
境内にあった笠松「円座の松」は、江戸名所図会に描かれ、葛飾北斎の「富嶽三十六景」に描かれています。
また、龍岩寺の門前の坂は「勢揃坂」といいます。
(札所碑)
「御府内第九番御札所 弘法大師霊場 古碧山龍巖禪寺」
「御府内八十八ケ所道しるべ 第九番浄性院」
「江戸名所図会 竜岩寺 庭中」
「笠松」とあります。
「絵本江戸土産 青山竜岩寺庭中」(広重)
挿絵には「この寺の庭中 林泉のさま右の仙寿院に劣らず 一株の松 円蓋をなす 因て笠松となづく」とあります。
「絵本江戸土産 青山竜岩寺庭中」(二代広重)
挿絵には「青山竜岩寺庭中 最風色よし 別て一樹の松ありて彼浪花屋の庭前にも勝る 案内を乞ふて一見なすべし」とあります。
こちらには、初代広重が描いていなかった富士山も描かれています。
「富嶽三十六景 青山圓座松」
「江戸切絵図」
<神宮前公園> 渋谷区神宮前2-2-30
葛飾北斎「富嶽三十六景 青山圓座松」は、現在の神宮前公園からの光景と思われます。
龍岩寺の門前の坂は「勢揃坂」といい、源義家がここで軍勢を揃えて出陣して行ったといわれ、この名が残されいます。
(説明板)
「勢揃坂(せいぞろいざか) 神宮前二丁目2番
ここのゆるい勾配の坂を勢揃坂といい、渋谷区内に残っている古道のひとつです。
後三年の役?永保三年(一〇八三)に八幡太郎義家が奥州征伐にむかうとき、ここで軍勢を揃えて出陣して行ったといわれ、この名が残されております。
このとき従軍した武士のなかに、桓武平氏良文の嫡流にあたる秩父十郎武綱(渋谷氏等の祖)が参陣して、手柄をたてたという伝説があります。
真偽についてはもちろんわかりませんが、区内に伝わる源氏に関する伝説のひとつとして注目されます。
渋谷区教育委員会」