○ 燈明寺
平井聖天は、妻沼聖天、待乳山聖天とともに関東三聖天の一つとして知られています(諸説あるようです)。
江戸時代には歴代将軍の御膳所として使用されました。
茶室は伊藤左千夫が設計、本堂2階に鹿鳴館のシャンデリアがあるとのことです。
燈明寺は、江戸川区の史跡に指定されています。
「平井聖天宮 江戸名所図会」
燈明寺と諏訪神社が描かれています。
中川の「平井渡」には乗客を乗せた渡し船が見えます。岸にあがるとすぐに鳥居があります。
<山門>
扁額「聖天宮」が掲げられています。
<仁王像>
<瑜祇供養塔>
贔屓が塔を背負っている亀趺かと思いましたが、違っていて、亀が塔を背負っている瑜祇供養塔です。耳があり贔屓に見えますが、亀のようです。
横に故人の供養塔かと思う石造物が並んでいます。
<百度石>
<納経所/茶室>
伊藤左千夫の設計による茶室の説明板が、納経所の参道反対側にあります。
納経所の奥に連なっている建物が庭もあり茶室に見えますがよくわかりません。
(説明板)
「此の茶室は先々代の澄道大僧正の友人である明治文壇の名士伊藤左千夫の設計による宗旦好みの茶室である。
この茶室は正岡子規等の明治文壇の名士が集い多くの墨跡を遺して居る。」
<水子地蔵尊>
<弘法大師一千年遠忌供養塔/尚道座像>
弘法大師供養塔の横に坐像があるので、遠目には弘法大師像かと思えましたが、
近寄ると台座に尚道と刻まれています。関尚道氏(燈明寺住職、根来寺座も務めた)の像ですかね。
<石仏>
石仏が五基並んでいます。
右側の二基は、南葛八十八ヶ所霊場の51番・65番の札所本尊です。
<平井聖天(燈明寺)>
(説明板)
「平井聖天(燈明寺) 区指定史跡
新義真言宗で、明雅山明王院と号します。山門を入った正面に見える聖天堂は燈明寺の別堂で、妻沼聖天、待乳山聖天とならぶ関東三聖天の一つとして知られています。
草創は平安時代と伝えられますが、江戸時代中期には荒廃し享保年間(一七一六〜三五)に京都から赴任した恵祐法印によって再興されました。
歴代将軍が鷹狩りの時に御膳所に使用したほか「江戸名所図会」にも描かれ、文人墨客も多く参詣しています。
その後、安政の地震(一八五五)で堂宇を損傷、関東大震災(一九二三)では本堂全壊という災禍にあいましたが、当時の関澄道貫主(二十六世)によって京都宇治平等院風の三屋根造りの優雅な本堂が建立されました。
澄道貫主は文人としても知られ、正岡子規や伊藤左千夫らと親交が深く、境内の茶室は左千夫の設計によるものです。
平成五年(一九九三)三月 江戸川区教育委員会」
<鐘楼>
<金堂>
2階に鹿鳴館のシャンデリアがあるようです。
<手水舎>
<天水桶>
<聖天堂>
古くから「平井の聖天さま」として信仰されてきました。