<一の鳥居/社号標>
「平井聖天宮 江戸名所図会」
燈明寺と諏訪神社が描かれています。
<説明板「諏訪神社」>
(説明板)
「諏訪神社
祭神は建御名方命で、享保年間(一七一六〜一七三五)、燈明寺の惠祐法印が、出身地である信州の諏訪大社から神霊を勧請したのがはじまりと伝えられます。
境内中央の社殿は、昭和四十二年に命じ百年を記念して建てられ(四十四年完成)、その旧社殿が境内北隅に移築されています。
□諏訪神社旧本殿 (江戸川区登録有形文化財)
天保十四年(一八四三)の再建で、外壁彫刻が江戸後期の神社建築の過飾的な特色をよく伝えています。
□平井の富士塚 附、板絵着色富士講奉納図額(一面)
(江戸川区登録有形民俗文化財)
大正九年頃、旧下平井村の丸富講の人びとによって造られました。境内の絵馬堂には丸富講が大正二年に奉納した図額もあります。
昭和六十二年三月 江戸川区教育委員会」
<鈴木和吉翁頌徳碑>
昭和9(1934)年建立の平井の発展に尽くされた鈴木和吉翁頌徳碑が、鳥居くぐってすぐ右手にあります。
<手水舎>
<造営記念碑>
<絵馬堂>
絵馬堂内壁に、丸富講が大正2(1913)年に奉納した絵馬があります。
<神楽殿>
<狛犬>
<社殿/本殿>
<御神木>
<稲荷神社>
稲荷神社の社殿は、諏訪神社の旧本殿(江戸川区文化財)です。
鍾馗様が疫鬼を踏みつけています。
(説明板)
「諏訪神社旧本殿
江戸川区登録有形民俗文化財(建造物)
昭和五十九年(一九八四)二月二十八日登録
天保十四年(一八四三)下平井村の人々によって再建された社殿です。昭和四十二年(一九六七)に明治百年を記念して新しく本殿が建てられることになり(同四十四年完成)、現在に移されて稲荷神社となりました。
建築樣式は一間社流造で、外部に施された彩色の装飾彫刻は江戸時代後期の神社建築の特色をよく表しています。なかでも、向拝紅梁に巻きつく龍や木鼻に施された籠彫りの唐獅子などに精緻な彫刻技術をみることができます。
なお、旧本殿の拝殿は松江一ー一ー七に鎮座する福荷神社(赤稲)の社殿として移築されています。
平成二十七年五月 江戸川区教育委員会」
<稲荷塚>
(説明板)
「平井の富士塚
昭和五十九年(一九八四)二月登録
江戸川区登録有形民俗文化財・民俗資料
富士塚は、富士信仰の団体である富士講の人たちが、富士山の容姿をかたちどって築き上げた小高い塚です。富士山に登ったのと同じ霊験が得られるようにと願って築かれました。
平井の富士塚は、大正九年(一九二○)ごろ、旧下平井村の丸星講の人たちによって造られました。登山道が二つに分かれ、一本は頂上に、もう一本は中腹の小御嶽神社に通じています。頂上の石祠には、大正九年の造立銘があり、小御嶽神社の前には、丸富の講紋と「小御嶽神社」と刻まれた石祠があります。塚の高さは約一・五メートルです。
境内の絵馬堂内壁には、丸富講が大正二年(一九一三)に奉納した絵馬があります。
平成十四年一月 江戸川区教育委員会」
<水神社/八幡神社/小御嶽神社>
手前に水神社石祠があり、続いて八幡神社の石祠と丸富講の小御嶽神社の石碑、その奥に小御嶽神社の祠があります。
<浅間神社>
<日露戦役紀念碑>
明治40(1907)年4月建立の希典書の日露戦役紀念碑です。
「明治卅七八年戦役紀念碑 希典書」