○ 東品川海上公園(寛政の鯨)
○ 目黒川水門(しながわ鯨)
○ どこまでも繋がっていく
○ 天王洲公園野球場
東品川海上公園は、目黒川が天王洲南運河に注ぎ込む河川部に位置した親水性のある公園です。
北側と南側の2つの地区をアイル橋という人道橋で結んでいます。
「寛政の鯨」をモチーフとした遊具があり、目黒川水門には「しながわクジラ」が描かれています。
<寛政の鯨碑> 品川区東品川2-6-22
(碑文)
「寛政の鯨
今から約200年前、寛政10年(1798)5月1日、この天王洲に1頭の鯨がまぎれ込みました。
当時漁師町だった品川の漁師達は、始めて見る鯨に驚きながらも勇敢に鯨をつかまえました。
9間(16メートル)もある鯨が品川にあがっという話しはまたたくまに江戸じゅうに広がり将軍も見に来るほどの大騒ぎだったそうです。その後骨は、利田神社に埋められ「鯨塚」として現在も残っています。
この史実に基づき、ここに鯨の遊具を設置しています。」
<くじら型遊具> 東品川海上公園 品川区東品川2-6-22
平成28(2016)年4月に完成した2代目のクジラ型滑り台です。
「川へと向かって降りるロングスライダー」「幅広すべり台」「一人用すべり台」「らせんすべり台」とあります。
全長15m超の遊具です。「寛政の鯨」と、ほぼ同じ大きさです。
(参考)企画・製作会社のHPに紹介されています。
<東品川海上公園・天王州公園>
アイル橋袂の公園案内図です。
写真は、目黒川右岸の展望スペースから、目黒川水門、クジラの遊具、アイル橋を見た光景です。
<アイル橋>
北側と南側の2つの地区を結んでいる人道橋「アイル橋」です。
アイル橋上から西の光景は、目黒川上流と、目黒川に架かる昭和橋が見えます。
目黒川に沿って、その下を首都高の山手トンネルが走っています。
上空の真上を車輪を出した飛行機が列をなして次から次へと降りてきて去っていきます。
<東品川海上公園西口>
西口入口には、見た目にはイルカに見えるクジラがあしらわれています。
水門の両側に、公募で選ばれた絵が描かれています(2008年完成)。
水門の南側には、作品名「しながわ鯨」(作:佐々木恭子)が描かれています。
寛政の鯨がモチーフとなっています。波は「しながわ」という文字になっています。
選定理由
「江戸時代、品川に鯨が入り込み、これを漁師達が捕らえたことが評判となり、時の将軍が見に来たとの由来がある。
鯨は目黒川水門の図柄にふさわしく、デザインとしての完成度も高い」
水門の北側には、「海のともだち」(作:佐々木恭子)が描かれています。
タツノオトシゴが4頭並んでいます。
選定理由
「この絵は大変かわいらしく、泡も周囲の海も大事な要素となって、作品全体が一つに調和している」
水の循環を描いた作品が壁に描かれています。
(説明板)
「どこまでも繋がっていく
淺井祐介 2019.3
水についての考察、こんなにも身近なしかし形のない水についてよくよく考えてみると不思議な気持ちになる、それはなんだか命について考えることと似ていると思う。空から降り注ぎ、地中へ、やがて植物を育て、生き物へ入り、抜け出し、集まり、流れ、再び空へ、その繰り返し。都市においてもそれは同じことで大切な生命力の象徴として、素晴らしい豊かさを感じてもらえるようにこの絵をここに描きました。」
<しながわ百景>
東品川海上公園に接している天王洲公園野球場C面に、「しながわ百景」が掲示されています。
「しながわ百景
区政40周年・区民憲章制定5周年記念 昭和62年選定
25 天王洲公園野球場とナイター
平成29年 品川区」