○ 羽田の大鳥居/鈴木弥五右衛門碑
大鳥居は、穴守稲荷神社が羽田穴守町にあった昭和初期に建てられました。
GHQによる羽田一帯の強制退去に際し、この大鳥居は撤去できずそのまま残り、羽田空港の日本返還後も駐車場の一角に残されていました。
羽田空港の沖合展開事業に際し、平成11(1999)年2月に、現在の位置に移設されました。
「穴守稲荷神社」の扁額は、現在は穴守稲荷神社の表参道の鳥居に掲げられています。
<平和の大鳥居>
(碑文)
「この大鳥居は、穴守稲荷神社がまだ羽田穴守町にあった昭和初期に、その参道に寄付により建立されたと伝えられています。
その後、終戦とともに進駐した米軍により、羽田穴守町、羽田鈴木町、羽田江戸見町の地域一帯に居住していた人々は強制退去され、建物は全て取り壊されました。
しかしながら、この大鳥居だけは取り壊しを免れて羽田の地に残され、往時を物語る唯一の建造物となりました。
米軍から、施設が日本に返還された昭和二十七年七月、東京国際空港として再出発した後も、この大鳥居は旅客ターミナルビル前面の駐車場の一隅に残され、羽田空港の大鳥居として航空旅客や空港に働く人々に親しまれました。また、歳月を重ね風雪に耐えた大鳥居は、進駐軍に強制退去された元住民の方々の「心のふるさと」として往時を偲ぶ象徴なりました。
昭和五十九年に着手された東京国際空港沖合展開事業により、滑走路や旅客ターミナルビル等の空港施設が沖合地区に移設され、大鳥居も新B滑走路の整備の障害となることから、撤去を余儀なくされることとなりました。
しかしながら、元住民だった多くの方々から大鳥居を残してほしいとの声が日増しに強まり、平成十一年二月、国と空港関係企業の協力の下で、この地に移設されたものです。
ここに関係各位に謝意を表するとともに、この大鳥居が地域と空港の共生のシンボルとして末永く親しまれることを念願する次第です。」
<鈴木弥五右衛門碑>
平成22(2010)年6月吉日銘の「氏神 鈴木弥五右衛門」の碑です。
(正面)
「氏神 鈴木弥五右衛門」
(右側面)
「偉業の大地の由来と歴史(文化十二年)一八一五年
江戸時代に猟師町の名主鈴木弥五右衛門が羽田村名主石井四郎右衛門に折衝し譲り受け羽田漁師町請負新田として幕府に願い出て干拓の許可を得たものです。浅瀬の要島を中心として新田開発が始められ羽田鈴木町、羽田穴守町、羽田江戸見町の三つの町が生まれました。」
(裏面)
「奉納記念碑
昭和二十年九月二十一日強制立ち退きを命じられた三千人の銘々を記す。
強制立ち退きで住む町を追いやられた。弁天橋を渡る母子の銅像。」
(左側面)
「寄贈
秋田杉 株式会社エスエイエヌ会長 板倉三男殿
羽田有志一同 羽田ボランティア推進の会一同
この地の氏神を奉り候う
清光 平成二十二年六月吉日 佐奈田法主 義照為」
<パネル>
「羽田ボランティア推進の会」(HP)が設置したパネルが掲示されています。
「此の地の歴史、鈴木新田跡 大田区指定文化財(史跡)」
「仮の掲示版・東京国際空港記念建造物」
「皆の羽田平和の大鳥居楽園ひろば」(氏神・鈴木弥五右衛門の碑)
「多摩川八景」
<鉄道トンネル>
「東海道貨物線」が海底トンネルで通っています。
「この河川の下には下記のような埋設物があります。」