Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 鳩ヶ谷街道 源永寺


○源永寺 川口市三ツ和2-19-8

 石標柱から入り、右手は広い駐車場、真っすぐ行くと墓地、左手に山門があります。
 山門は閉まっているので、手前の入口から入ります。

(説明板一部抜粋)
「無量山源永寺は、古くは川口善光寺付近の荒川(旧入間川)の岸辺にあった寺でしたが、荒川の瀬替えのため、江戸時代初期に当地へ移されました。
 江戸時代は、氷川神社ならびに八幡神社の別当寺となりましたが、明治に、神仏分離によって神社はそれぞれ独立しました。
  昭和53年3月21日  川口市教育委員会」

   

<境内/本堂>

 入ってすぐ鐘楼があり、通路に井戸があります。
 天水桶は、川口の「鈴木文吾」作。扁額は「無量山」。
 境内には板碑二基と道標一基があります。

    

    

<板碑> 川口市文化財

 鐘楼脇に二基の「板碑」があります。
 右は、建武5(1338)年銘の阿弥陀一尊の板碑。
 左は、貞和4(1348)年銘の阿弥陀一尊の板碑。
 他に、公開されていない暦応3(1340)年銘の阿弥陀一尊の板碑があります。

    

    

<板碑説明>

 板碑の説明板が昭和53年と古いので、川口市文化財HPより引用します。

「建武五年銘阿弥陀一尊板碑および貞和四年銘阿弥陀一尊板碑
指定等:市指定
種別:有形文化財 歴史資料
員数:2基
年代:南北朝時代
指定年月日:昭和46年5月24日
所有者:宗教法人・源永寺
所在地:三ツ和2-19-8
前者は、建武5年(1338)銘の阿弥陀一尊の板碑で、上部に阿弥陀を示す梵字と蓮台、下部の年号の左右に光明真言の梵字が刻まれています。当地に真言密教が流布していたことを示す資料です。後者は、貞和4年(1348)銘の阿弥陀一尊の板碑で、上部に阿弥陀を示す梵字と蓮台、下部の年号の左右に観無量寿経の経文が二行ずつ刻まれています。やはり真言密教系の板碑です。」

<普門品供養塔道標>

 境内に文政11(1828)年銘の普門品供養塔道標があります。

 (正面)  「奉読誦普門品供養塔」
 (正面右下)「西新井大師道 一り半」
 (左面左下)「是より 川口道 一り」
 (右面)  紀年及び「是より そうかみち 二り」

    

     

【墓地】

<六地蔵>

 墓地入口に六地蔵の小堂があります。六地蔵は2組あります。

   

<石塔群>

 六地蔵の隣に三列に石塔が並んでいます。

   

<石橋供養塔道標>

 前列一番左の享保4(1719)年銘の石橋供養塔です。
 六阿弥陀道の道標を兼ねています。(読めない部分多く資料による)

 (正面頂部) 阿弥陀坐像の浮彫
 (正面像下)「奉納 平柳領大小石橋十二ヶ所寄進…
           大乘妙典六十六部日本回國…
           一千日偈念佛五百日中□□…
           備中國後月郡両江原村番…」
 (右面)「是より東 六あみだ道」

    

   

<庚申塔道標>

 弘化4(1847)年銘の文字庚申塔道標です。

 (正面)「庚申」 と陰刻
 (左面)「南 大師 西 川口 道」
     「世話人(3名の陰刻)」
 (右面)紀年と「北 鳩ヶ谷道」

      
 
<無縁仏の庚申塔/不動明王>

 無縁仏の前列に、庚申塔と不動明王があります。

    

   


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