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 築地居留地跡 ガス街灯

  ガス街灯柱が、外国人居留地中央通り沿いに2基、明石町区民館に1基、残されています。
  柱頭のランプ部分は新たに復元されたものですが、2基に「築地ホテル館」の塔が据えられています。
  他に、明石小学校正面横に3基、トイスラー記念館前に2基のガス街灯があります。

  ○ ガス街灯柱(明石小学校角地)
  ○ ガス街灯 (明石小学校正門横)
  ○ ガス街灯柱(リハポート明石前)
  ○ ガス街灯柱(明石町区民館)
  ○ ガス街灯 (トイスラー記念館前)


ガス街灯柱(明石小学校角地) 中央区明石町1-15 明石小学校角地

 明石小学校角地にある緑色のガス街灯柱です。

   

(説明板)
「ガス街灯の柱
 このガス街灯の柱は、コリント風の様式で上部にある左右二十センチメートルの腕金や下部に施された帯状の操り形など、特徴的な装飾が見られる鋳鉄製の柱です。照明ランプ部分は、電気灯として使用されていたランプを修復した上で、後年に取り付けたものです。
 柱部分は、形状や材質などから判断して、明治末年頃のガス街灯のものであると推定されます。明治情緒を偲ばせるガス街灯の柱からは、文明開化の象徴として輝いていた頃の様子が想像されます。」

  


ガス街灯(明石小学校正門横) 中央区明石町1-15 明石小学校正門横

 青色のガス街灯です。風力発電の電力を利用。3基が連なっています。

    

    

  


ガス街灯柱(リハポート明石前) 中央区明石町1-6 リハポート明石

 こちらはリハポート明石の前にあるクリーム色の街灯柱です。

(説明板)
 「ガス街灯柱
  これは、ガス灯を点灯するための街灯柱です。
  高さは三.四メートルで柱は鋳鉄製
 コリント風の様式をとり
 柱頭・柱身・基部の部分からなっています。
  柱頭のランプ部分は新たに復元しました。
  この街灯柱は、以前この場所に在った
 「中央区立第二中学校」に設置されていました。
  また、基部の台座も
 「学校」の階段の石(白御影石)が
 使われています。
   平成十六年三月」

     


ガス街灯柱(明石町区民館)  中央区明石町14-2 明石町区民館

 明石町区民館に、ガス街灯柱が1基あります。
 明石町区民館の入口の照明は、ガス灯のランプを模しています。

   

     


トイスラー記念館 中央区明石町10

<トイスラー記念館前ガス灯>

   

<聖路加国際病院トイスラー記念館>

 現在の聖路加ガーデンに昭和8(1933)年に宣教師館として建てられ、平成10(1998)年に現在地に移築復元されました。

    

(説明板)
「聖路加国際病院トイスラー記念館
  所在地 中央区明石町一○番
 昭和八年、トイスラー記念館は隅田川畔の明石町十九番地に聖路加国際病院の宣教師館として建設されました。
 設計者は米国人建築家のJ・V・W・バーガミニィで、施工は清水組(現在の清水建設株式会社)が行いました。建物の躯体は、昭和初期の住宅建築には珍しい鉄筋コンクリート造一部木造二階建てで、ヨーロッパの山荘を思わせる重厚な風格のある建物でした。
 平成元年に解体工事が行われ、平成十年二月に現在地へと移築復元されました。復元にあたり、創設当時の施工技術や構造上の特徴を精密に記録し、再利用可能な部材をできる限り用いています。
 外観は、外部に柱や梁を表現したハーフティンバー風の意匠です。室内はチューダー・ゴシック風のデザインで、玄関ホールやリビングなどに重厚な木の内装がみられます。
 この建物は、聖路加国際病院の歴史を物語るとともに、築地居留地時代から引き継がれてきた明石町の歴史の一端を伝える貴重な文化財です。
  平成十八年三月  中央区教育委員会」

   

<玄関に掲示のプレート>

 「トイスラ―記念館
 Teulsler Memorial House
 1933年(昭和8年)病院が新築完成した頃、トイスラー院長が宣教師会館として、また迎賓館として隅田川河畔にある第3街区(現在の聖路加ガーデン)の芝生に建てられたもの。
 此度の聖路加再開発計画に基づき、この場所に移築復元された。
  ※この下には災害時用の縦横10m×深3mの水槽がある。
  1998年5月23日」

   

<創設者トイスラー医師>

 「創設者 R.B.トイスラ―医師 1876-1934」
 「DR.RUDOLF BOLLING TEUSLER, FOUNDER
  本院は創立以来、キリスト教精神の下に、病む人を中心とした
  医療と看護を実践してきました。
  その精神は百年を経た今日も受け継がれ、永遠に生き続けます。
  キリストの愛の心が 人の悩みを救うために働けば 苦しみは消えて、
  その人は生まれ変わったようになる。この偉大な愛の力を、だれでもがすぐ
  わかるように あらわせるよう、計画されてきた生きた有機体がこの病院である。
    聖路加国際病院 2002.10.18」

   


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