Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 荒綾八十八ヶ所霊場 第87番 普賢寺


○普賢寺 葛飾区東堀切3-9-3

 日照山源光院普賢寺と号します。
 平安時代の治承4(1180)年に、現在の葛飾区などを治めていた葛西氏によって開かれた寺と伝わっています。
 南葛八十八ヶ所霊場第55番札所、荒川辺八十八ヶ所霊場第57番札所、荒綾八十八ヶ所霊場第87番札所です。

「江戸名所図会」

 挿絵には「葛西六郎墳墓 葛西上千葉村普賢寺にあり」とあります。
 宝篋印塔は二基描かれており、現在弔われている宝篋印塔は三基が並んでおり、後から一基が加えられたようです。
 なお、堀切という地名は、葛西氏の一族の城跡という説があります。

   

<上千葉遺跡と普賢寺>

 古隅田川緑道に掲示されている説明板です(こちらで記載)。

(説明板)
「上千葉遺跡と普賢寺 出会いの川 古隅田川
 この遣跡の発見は古く、嘉永3年(1850)畑から壺とその中から古銭約1万5千枚が発掘されました。古銭は開元通宝・皇宋通宝・元豊通宝など中国からの輸入されたもので、壺は愛知県常滑で焼かれた13?14世紀の製品です。古銭出土地点周辺には 「城口(錠□?)」「ギョウブ(刑部?)」「クラノ内」などの字名があることから、付近に城館跡が存在していた可能性が高い地域です。また、付近には治承4年(1180)の開基といわれる古城の跡に建立されたとする普賢寺が在ります。寺には、都史跡に指定されている鎌倉時代末期頃の宝篋印塔三基があり、葛西氏ゆかりのものと伝えられています。」

  

<参道/寺号標>

 普賢寺は、バス通りから少し奥にあり、バス通りに面して「普賢寺入口」の掲示があります。

 寺号標「日照山普賢寺」
 裏には縁起が刻まれています。

    

<山門>

 山門の左手に大きな標柱「普賢寺願掛け水かけ不動」があります。
 右手に東京都教育委員会が建てた標柱「都重宝 普賢寺宝篋印塔」があります。
 庚申灯籠型の燈籠が一基奉納されています。

     

 山門の扁額「日照山」。

  

<札所碑>

 大師堂の右側に荒綾88ヶ所霊場の第87番札所碑があります。

 (正面)
  「荒綾瀬八十八ヶ所第八十七番普賢□
     上千葉
   是ヨリ下千葉九品寺へ七丁十三間」

 (左側面)
  「(みなみ)あやせ村字小菅
   吉澤角右エ門
   大正十五年六月建之」 

   

<大師堂>

 手水鉢は大正12(1923)年の銘です。
 左に「弘法大師一千年塔」があります。
 大師像には「第五十五番」とあるので、南葛八十八ヶ所霊場第55番札所の大師像です。

    

<弘法大師像?>

 弘法大師霊場で良く見る弘法大師石像に似ています。

  

<保存樹木>

 葛飾区指定の保存樹木が「No.776-781」まであるようです。

  

庚申灯籠> 葛飾区文化財

    

(説明板)
「葛飾区指定有形文化財 普賢寺庚申灯籠
  所在地 葛飾区東堀切三丁目9番3号
  指定年月日 昭和54年(1979)3月6日
 この庚申灯籠一対は、寛文6年(1666)地元の庚申講の人々によって建てられたものです。「寛文六丙午年 石燈籠庚申成就二世安楽処 十二月今日」と記されています。
 区内に在る多くの庚申供養塔の中でも、灯籠を供養塔にしたものはこれだけで大変めずらしいものです。
 60日に一度めぐってくる庚申の日に、人々が健康長寿を願って集まり夜明かしをすることを守庚申、庚申待ちといいます。このような庚申信仰は江戸時代各地に広がり庚申講が生まれました。こうした庚申講の人々は、庚申待の成就などを記念してそれらの供養のために庚申塔を作りました。
  葛飾区教育委員会」

  

<青面金剛像庚申塔>

 大師堂の右手に庚申塔。年紀読めず。

    

<諸仏>

   

<鐘楼>

  

<本堂>

    

<中埜安兵衛君之碑>

 どなたですかね。

   

<願掛け水かけ不動>

   

<三界萬霊塔>

 三界萬霊塔の横に、葛飾区の説明板「葛飾区指定有形文化財 刊本大般若経」が設置されています。

   

<宝篋印塔 三基> 東京都文化財

 標柱と寶篋印塔三基です。

(標柱)
 「都重宝 普賢寺 寶篋印塔 三基」

    

(説明板)
「東京都指定有形文化財(建造物)
 普賢寺宝篋印塔 三基
   所在地 葛飾区東堀切三丁目九番三号
   指定 昭和四十三年四月六日
 寺伝によると、この宝篋印塔は鎌倉幕府創設に尽力した豪族葛西氏の墓であろうとしている。『新編武蔵風土記稿』『江戸名所図会』および『葛西志』などにも記載されているように、江戸時代中期にはすでに古碑として著名なものであった。
 文字は磨滅して判別できないが、指定された三基はともに都内に現存する宝篋印塔としては、室町時代の様式をそなえた優秀なものである。中央塔の総高は一九〇センチメートル、向かって右の塔は一二四・二センチメートル、向かって左の塔は一八三・四センチメートルある。
 なお、前記の江戸時代の記録にはともに「宝篋印塔二基」と記載されており、その後なんらかの理由で増加したものと思われる。
  平成七年三月三十一日 建設  東京都教育委員会」

   

 宝篋印塔、左から。

    

<石塔三基> 左は「弘法大師供養塔」、右は「御大礼記念碑」です。
 中央は、「西南役」及び「日露役」の「彰忠」碑で、乃木希典の篆額です。

     


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