延命寺は、説明板によると山門が特記事項のようです。
荒綾八十八ヶ所霊場の第13番札所です。
(説明板)
「延命寺
当寺は延慶二年(一三〇九)開創で、開山は法印宥慶と伝えられる真言宗豊山派の古刹である。
本尊は延命地蔵菩薩で、南北朝後期の作と推定される。他に天文二十年(一五五一)の造立銘がある聖徳太子立像(足立区登録有形文化財〔彫刻〕・鎌倉風の手法を受ける弘法大師坐像・もと薬王寺の本尊といわれる薬師如来立像などすぐれた仏像が安置されている。中世の板碑(正長元年銘)も保存されている。
当延命寺の山門(如意門)は昭和五十一年、新潟県佐渡より移建されたもので、宝暦四年(一七五四)、飛騨高山の名工梶原某の創建と伝えられている。一間一戸の薬医門で総欅造、屋根は切妻造、正面に軒唐破風が付く。複雑に組み上げられた構築と随所に施された装飾彫刻は見事である。特に欄間の迦陵頻伽・内法貫の龍・木鼻の獅子や獏などは秀逸である。
移築にあたり門の主要部、彫刻などすべてがもとの状態のまま復元されており、江戸中期の古建築として足立区登録有形文化財(建造物)になっている。
平成二十七年三月 足立区教育委員会」
<「大猷院殿 尊前」燈籠>
山門右手に奉献石燈籠があります。
「奉献石燈籠両基 武州東叡山
大猷院殿 尊前
慶安五年四月二十日
従五位下松平備前守源隆綱」
この石燈籠も大猷院廟にあったもののひとつと思われます。
<境内「台徳院殿 尊前」燈籠>
「石燈籠奉拜進
台徳院殿 尊前
寛永九年七月二十四日
溝口出雲守源宣直」
台徳院殿は、徳川2代将軍秀忠です。逝去した年の奉献です。
越後国新発田藩3代藩主の溝口宣直による増上寺への奉献です。
<境内「最樹院殿 尊前」燈籠>
「奉献石燈籠両座
武州東叡山
最樹院殿 尊前
文政十丁亥年二月廿日
濱松侍従水野越前守源忠邦」
最樹院殿は、一橋徳川家第二代当主の徳川治済です。
八代将軍徳川吉宗の孫で、十一代将軍徳川家斉の実父に当たります。
浜松藩主水野忠邦による奉献です。
徳川秀忠(増上寺)、徳川家光(寛永寺)、徳川治済(寛永寺)と、3つも奉献石燈籠がありました。
寛永寺再建に寺が少なからぬ協力をしたのか、協力した個人が寄進ということでしょうね。
<庚申塔> 足立区文化財
天保12(1841)年2月銘の庚申塔です。