Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 大聖寺と道標

  ○ 大聖寺(関原不動尊)
  ○ 関原八幡神社
  ○ 廻国塔道標
  ○ 不動道大師道道標


大聖寺(関原不動尊) 足立区関原2-22-10

 真言宗豊山派の寺院で関原山不動院大聖寺と号します。
 山号が関原の地名由来となっている寺です。
 荒綾八十八ヶ所霊場の第9番札所です。

    

   

<大聖寺>

(説明板)
「大聖寺
 本寺は寺蹟によると、応永年間(一三九四?一四二八)に小宮光?が関原の地に草堂を建て、不動明王を安置し、その後、天正十三年(一五八三)に再建成就して、名を聞原山不動院大聖寺と定めたという。
 江戸時代には、江戸の庶民の熱い信仰を受けた。現在の本堂(足立区登録有形文化財)は、嘉永元年(一八四八)の建立で、区内随一の木造伽藍であるが、これは深川木場の講中が材木その他を寄進して再建されたものである。本|堂中央の中の間の天井には九十九枚の彫刻がある。欅の木目を美しく生かし、彫りも深く、美麗精巧な美術品である。
 また、八代目市川團十郎奉納木造提灯扁額(足立区登録有形文化財)は、提灯本体に大きく「八代目」と記され、奉納の目的を父の寿海老人白狼(七代目市川團十郎)が記しており、著名な歌舞伎役者の家である市川家が大聖寺を信仰Lていたことを伝えている。
 本寺草創の由来を刻んだ関原不動尊略?起、世に鉄眼版の名で知られる大般若経六百卷、文明年間(一四六九?八七)の板碑二基なども蔵し、いずれも足立区登録文化財となっている。その他、本尊の不動明王 (秘仏) を中心に八大童子像や百体の小観音像などがある。
  令和元年十二月  東京都足立区教育委員会」

  

【不動明王像道標三基】

 山門前に不動明王像道標が三基並んでいます。左から見ていきます。

  

<不動明王像道標>

 嘉永4(1851)年銘の道標です。
 (正面)不動明王坐像「関原山」
 (左側面)「是より十壱町」

    

<不動明王像道標>

 享和3(1803)年銘の道標です。
 (正面)不動明王坐像「不動尊道 関原山 大聖寺」
 (左側面)「これより 二町」

     

<不動明王道標>

 嘉永元(1848)年銘の道標です。
 (正面)「関原山不動明王」
 (右側面)「厄除弘法大師」「是より 十六町」

     

<百度石>

 嘉永4(1851)年銘の百度石です。

  

<力石>

 力石があります。「六十貫目」と彫られています。

   

<百観音巡拝記念>

   

<和合会諸霊位>

  

<五文字題句碑>

 天保6(1837)年銘の五文字題句碑です。

  

<訓導田中富次郎之墓>

 墓地ではなく境内にある墓碑です。

  

<不詳>

 表面が半分崩壊している石碑です。読めません。

   

<手水舎>

 手水舎は細かい彫が施されています。
 手水鉢は、天保3(1932)年銘です。

    

<天水桶>

 平成元年奉納の天水桶。「鋳物師 鈴木文吾」
 東京オリンピックの聖火台を鋳造した鋳物師の鈴木文吾氏が鋳造した「天水桶」です。

   

<本堂> 足立区文化財

    


関原八幡神社 足立区関原2-35-22

 関原八幡神社は、大聖寺の境内に鎮座していましたが、明治の「神仏分離令」により、明治3(1870)年に当地に移転しています。

    

    

(説明板)
「足立区指定第558号
 保存樹木 けやき
 当神社は、小宮光徳が不動明王を安置したことを起源としており、このケヤキは、嘉永元年(1848年)頃に現在の本殿が新築された際、敷地の境に左右に植樹されたと伝えられている内の一本です。これからも、大切に見守っていきたいと思います。」

  

<八紘一宇>

   


廻国塔道標  足立区関原1-6-24

 江北橋通りと消失している梅田堀の交差する地点に「梅田上町プチテラス」があります。
 防災機能が整備され、かまどベンチ、防災マンホールトイレ、防火貯水槽などが設置されています。2006年4月にオープン。
 プチテラス前の路上にはカラーマンホール蓋があります。

 プチテラスの一角に、天保7(1836)年銘の廻国塔道標があります。
 大聖寺及び明王院への参詣路を示す道標となっています。

    

   

<廻国塔道標>

 (正面) 「奉納 西國秩父坂東 現當二世(安楽)也」
 (正面左)「関原山不動尊道」
 (正面右)「右 當村不動尊道」
 (左側面)「向テ 右リ千住掃部宿 左リ千住五町目道」
 (台石左面)「拾七丁 十五丁」
 (台石右面)「すぐ せき 原山 みち」

     

(説明板)
「天保七年銘道標
 右側面に天保七年(一八三六)三月と造立年を刻んだこの石柱は、「当村不動尊」である明王院と「関原山不□□(動尊)」こと大聖寺への参詣路を示す道標である。造立を発起したのは小宮仙右衛門・勝間倉右衛門・堀口岩右衛門等三名の梅田村住人であることが台石正面に刻まれている。この三名は西国・秩父・坂東の各霊場に巡拝したことを機に、現世と来世の平穏を祈って道標を奉納したことが本体正面に見えている。
 近年まで道標は、造立主の子孫の方により保存されてきた。当初の地点は不明であるが、現在この道標が移設された、この場所の前の道路に沿ってあった梅田堀沿いにあったものという。左側面には、千住掃部宿(千住仲町)へ十七丁(約一・九キロ)、千住五町目道(千住五丁目)へ十五丁(約一・六キロ)と、それぞれ大師道と日光道中を経て江戸時代の千住宿の中央と北端へ至る距離が記されている。
 従来から明王院は通称「赤不動」、大聖寺は「関原不動」の名で地域の人々に親しまれてきた。足立区周辺にも参詣路が設定され、江戸市中の人々の来訪が盛んだったことを、大聖寺に保存された他の道標ともども物語っている。
  平成十八年四月  足立区教育委員会」

    


不動道大師道道標 足立区本木1-19-8

 本木新道沿いにある「本木一丁目プチテラス」に、天保6(1835)年銘の道標があります。

    

 (正面)「関原山 不動尊」
 (右側面)「ふどう だ以し 道」

    

<本木の起こり>

   


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