Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 谷中 長久院

  ・閻魔王坐像・両脇侍像(笑いえんま)


○長久院 台東区谷中6-2-16

 瑠璃光山長久院薬師寺と号します。
 慶長16(1611)年に宥意が神田北寺町に開山、慶安11(1658)年に当地へ移転したといいます。本所弥勒寺の末寺でした。
 御府内八十八ヶ所霊場55番札所、江戸・東京四十四閻魔の第12番です。

「江戸切絵図」
 江戸切絵図には「長久寺」とあります。
 隣は「大泉寺」と「西光寺」とあり、現在も江戸時代と変わらぬ配置です。

  

<山門>

  

<札所碑>

 山門前に建つ、明治30(1897)年8月銘の御府内八十八ヶ所霊場の札所碑です。

    

<塩田三郎君顕彰碑>

 道路沿いにある塩田三郎の巨大な顕彰碑です。明治26(1893)年12月の建立です。
 なお、墓地に巨大な墓があります。

 「特命全權公使正三位勲弐等鹽田君碑」

   

「塩田三郎肖像」(国立国会図書館「近代日本人の肖像」)

 天保14年11月6日〜明治22年5月12日(1843年12月26日〜1889年5月12日)
 外交官。幕府の通弁御用となり、文久3(1863)年の遣欧使節に随行。
 維新後、明治4(1871)年岩倉使節団に随行、その後外務省に務め、井上馨外務卿のもとで条約改正交渉に臨みました。
 明治18(1885)年に特命全権公使として清国に駐在、明治22(1889)年北京にて死去。享年47歳。
 (肖像2枚目は、「大日本名家肖像集」(経済雑誌社1907年)より抜粋)

   

「特命全権公使正三位勲二等鹽田君墓」
 左に夫人の墓石、右に塩田三郎の墓石が建っています。
 墓石裏には「明治廿二年五月十一日薨」とあります。

    

<山門脇門の鉄砲穴>

 山門脇のくぐり戸に、戊辰戦争時の弾痕が残っています。
 彰義隊を追った官軍兵士の鉄砲の流れ弾によるものといいます。

   

閻魔王坐像・両脇侍像> 台東区文化財

 中央は閻魔王像、左は司録像(閻魔王の判決内容を記録する従者)、右は司命像(閻魔王の判決を言渡す従者)です。
 閻魔王像は笑い閻魔と呼ばれています。
 江戸・東京四十四閻魔の第12番です。

     

 閻魔王の背中に紀年が刻まれており、享保11(1726)年銘です。

   

 「「笑いえんま」とよばれています」(寺によるシンプルな説明です。)

  

(説明板)
「六十六部造立石造閻魔王坐像及び両脇侍像(台東区有形文化財)
  所在地 台東区谷中六丁目二番十六号 長久院境内
 この石仏は、中央に閻魔王像、右左にそれぞれ司命、司録像を配しています。閻魔王は死者の生前の行いに応じて死後の行き先を決めるという冥界の王で、司命は閻魔王の判決を言渡し、司録は判決内容を記録する従者であるとされています。
 台座に刻まれた銘文によると、この三躰は六十六部聖(六部聖ともいう)の光誉円心という人物が享保十一年(一七二六)に造立したものです。六十六部聖とは『法華経』を六十六部書写し、全国六十六箇所の霊場に一部ずつ奉納した聖のことをいいます。江戸時代になると経典の奉納の他に、石塔・石仏を各地に造立するようになりました。教典の書写や石塔・石仏の像立を重ねることは、生前の罪障を滅し、死後の往生に近づくこととされたためです。
 都内に現存する六十六部聖が造立した石仏を調べてみると、地蔵菩薩像が圧倒的に多く、閻魔王像は極めて稀であることが分かります。本像は六部聖が江戸時代の谷中でも活動していたことを裏付けるとともに、希少な石仏として貴重な文化財のひとつです。
 この六十六部造立石造閻魔王坐像及び両脇侍像は平成九年に台東区有形文化財に登載されました。
  平成十七年三月 台東区教育委員会」

  

<巨碑>

 駐車場にある巨碑ですが、読めません。
 左下は読めて「河内楼主人立焉」とあり、料理茶屋の下谷広小路河内楼のことですかね?
 河内楼は大師堂前の手水鉢も奉納しています。

   

 「江戸高名会亭尽 下谷広小路 東叡山麓河内楼上酒宴之図」「狂句合 お池通りにかつら河長印 扇松」(広重)

  

<大日如来座像>

 台座銘板に昭和6(1931)年の銘がある「大日如来座像」です。

    

<瀧春一句碑>

 瀧春一(1901年10月15日〜1996年3月28日)は俳人、水原秋桜子に師事。

 「花のひらくごとく 冬日の射しにけ里 春一」

  

<浅沼藤吉翁碑>

 昭和10(1935)年10月建立の巨碑「浅沼藤吉翁碑」です。
 碑には肖像が線刻されています。

     

 浅沼藤吉
  嘉永5(1852)年10月29日〜昭和4(1929)年10月13日
  明治4(1871)年に浅沼商会を東京で創業、日本で最初の写真薬品、材料を取り扱う。
  (参考)浅沼商会(HP) 

 「欧米旅行中の浅沼藤吉肖像」(欧米周遊略記 浅沼藤吉 明治34年)

  

 墓地に浅沼家の墓があります。

   

<大師堂>

 御府内八十八ヶ所霊場55番札所です。
 堂内には大師像が座しています。

   

<手水鉢>

 河内楼による奉納の手水鉢です。

  

<御詠歌碑>

 昭和9(1934)年4月銘の「御詠歌碑」です。
 四国八十八箇所第55番南光坊の御詠歌。長久院は南光坊の写し札所です。

 「四國五十五番南光坊
  このところみしまのゆめのさめければ べつぐうとてもおなじすいじゃく」

   

<弘法大師一千百年御遠忌供養塔>

  

<本堂>

  

<三界萬霊供養塔>

 その1
  

 その2
   

<他>

  


戻る