Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 ばんじん通り

  ○ ばんじん通り
  ○ ばんじんまちがど広場プチテラス
  ○ 番神ひだまりプチテラス
  ○ Tempus(テンプス)
  ○ 番神橋跡
  ○ ばんじん通り児童遊園
  ○ 三十番神七面大明神社
  ○ 梵天・出羽三山供養塔・庚申塔 別頁


ばんじん通り 足立区足立2丁目・3丁目

 足立2丁目と3丁目の境を東西に通る道を「ばんじん通り」と呼び、その通り沿いにあるのが「三十番神七面大明神社」です。
 また、東の終端路傍には、出羽三山供養塔、梵天、庚申塔等があります。
 プチテラスが2つあります。商店街としては終わっている通りです。

  


○ばんじんまちがど広場プチテラス 足立区足立1-34-6

 ばんじん通りの西端T字路に「ばんじんまちがど広場プチテラス」があります。

    


○番神ひだまりプチテラス 足立区足立1-36-1

 プチテラスの角にウイスキー樽が置かれています。雨水をため、植生の水やりに使われています。

    

   


Tempus(テンプス) 足立区足立2-7-7-101 03-6883-4397

 2019年4月にオープンした青い屋根のパン屋です。
 トング&トレー無しの対面オーダーです。
 少し上の価格帯ですが、おいしい。
 クリームパン(170円外税)のカスタードクリームは絶品でした。

     

    


番神橋跡 足立区足立3-16-10

 Googleストリートビュー(撮影日2022年8月)では、標柱「番神橋跡」が確認できたものの、
 現地で確認すると撤去されていました。

   


○ばんじん通り児童遊園 足立区足立3-16-10

 児童遊園の基準ではトイレは具備することとされていますが、なぜかトイレが設置されていない児童遊園です。

     


三十番神七面大明神社 足立区足立2-8

 三十番神とは、1ヶ月30日間、毎日かわるがわる、法華経を守護する30の神々のことです。
 七面大明神は、身延山を守護する七面山の神のことです。
 旧弥五郎新田では、当社ははじめ鴨下家の屋敷神として祭られてきました。

    

(説明板)
「三十番神七面大明神とばんじん通りの由来
 ばんじん通りは、足立二丁目と三丁目の境を東西に通る道の名として親しまれています。この名前は、この地に三十番七面大明神を祀ることに由来します。
 古くは江戸時代以前から、この地の豪族であった鴨下家の屋敷神として祀られていたものといわれています。
 三十番神とは、三十の神々が一日交代で日本を守護するという信仰で、七面大明神とは、身延山を守護する七面山の神のことを示しています。いずれも日蓮宗の信仰に基づくものです。のちにこの地を新田開発し、「弥五郎新田」の名称の由来になった京極弥五郎は、武蔵千葉氏の家臣とされ、千葉氏の守護神妙見大菩薩は日蓮宗においても信仰されたので千葉氏との関連も興味深く想像されます。
 次第に地域の人々に信仰され、野菜の出荷や人糞尿の運搬の行き帰りに参拝されるようになりました。
 かつて、花畑の大鷲神社の酉の市には賭博の開帳があり、弥五郎新田の番神様には徳福開運のご利益ありと、町の旦那衆や博徒がこぞってお参りしたといわれます。その霊験のあらたかさが広まり、日本橋や浅草辺りの人々も商売繁盛や交通安全を祈りに訪れたといわれています。
 境内には、集落のなかにあった庚申塔三基も移設され、現在も地域の人々によって手厚く祀られています。
  昭和五十二年四月吉日
  平成十六年四月吉日 改修
    足立区」

  
 

「社殿並ニ玉垣建設
  社主 鴨下林蔵
 昭和四十六年四月吉日」

  
 

<社殿>

   
 

<庚申塔> 足立区文化財

 集落のなかにあった庚申塔三基が移設されています。
 左から文久2(1862)年、享保7(1722)年、享保10(1725)年の造立です。

  

     

(説明板)
「庚申塔
 ここに建つ三基の石造物は、庚申塔と呼ばれるものである。
 日本には平安時代初期、中国から伝わった庚申信仰は、六十日で一巡する「庚申」の日の晩、体内に宿る三尸という虫が、日頃の悪事を天に昇って天帝に告げると寿命が縮むと信じ徹夜をする風習が起こった。通常、三年間講を継続すると記念に庚申塔を村内の路傍等に造立した。
 向かって左から文久二年(一八六二)、享保七年(一七二二)、享保十年(一七二五)の造立である。いずれの塔も、青面金剛が邪鬼を足もtに踏みつけ、その下には、「見ざる」「言わざる」「聞かざる」の姿勢をとる三猿が陽刻される典型的な形式である。また、各塔側面には、庚申講を結成し塔を建てた人々が住む村の名前や講中の人名、苗字等が刻まれている。
 いずれも江戸時代にこの地域の人々が庚申講に集い、主に長寿を祈る行事が満願に達したのを記念してこの庚申塔を造立したのである。特に足立区は、江戸時代を通じて庚申塔の造立が盛んだったことが分かっている。三基とも平成二十四年十二月、足立区登録有家宇井民俗文化財に登録された。
  平成二十五年三月  足立区教育委員会」

  
 

<力石(かな?)>

  


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