浮塚は、綾瀬川及び古綾瀬川(現:垳川)左岸の沖積地に位置します。
地名は、塚(古墳)が水の中に浮いている様子から起立したと伝えられています。
浮塚の氷川神社は舟が沈没し塚となったため、境内は船の形をしていると伝わり、境内地は古墳であったと推測されています。
周辺は「谷塚」「竹の塚」などの塚地名が多いところです。
寛永7(1630)年に、綾瀬川は浮塚のところで南へ直線に改修され古隅田川に落とされ、
新流路を綾瀬川・新綾瀬川、旧流路を古綾瀬川と呼ばれました。
八潮市立資料館のサイトに綾瀬川の河岸一覧が掲載されています。
浮塚地域には、「氷川神社裏」「センドウ」「忠治」の各河岸が記載されてります。
綾瀬川の舟運は、上り荷は主に下肥、下り荷は主に米でした。
○ 浮塚氷川神社
○ 水神社
○ 大仙寺
○ 平成泉橋 別頁
下妻街道に沿って、浮塚氷川神社があります。
綾瀬川に河岸があった場所です。
<浅間大神/三柱大神/石祠>
<砂取稲荷神社>
浮塚地域の綾瀬川右岸に水神社があります。
水神社の正面は綾瀬川を向いています。
台石には多くの方々の名前が刻まれています。
(水神社正面)
(綾瀬川と水神社)
ここが忠治河岸跡と思われます。
寛永13(1636)年、浮塚山大正寺として創建。
明治初年に近隣の長泉寺と合寺し大仙寺と改称。
山号は浮塚山。
西新井組中川通四箇領八十八箇所第5番、荒綾八十八ヶ所霊場第14番です。
山門 垳川対岸東京都から 垳川左岸
<札所碑>
山門手前左手に札所碑が四基並んでいます。
左から
1番目 上半分が失われており「□仙寺」とあります。
2番目 正面「新四國八十八箇所」、左側面に天保13(1842)年の銘が見えます。
3番目 八十八しか読めない
4番目 十四番とあるので、荒綾八十八ヶ所霊場の札所碑かと思います。
<弁財天堂>
山門入ってすぐ左手に進んだところに建つ真っ赤な堂宇の弁財天堂です。
堂内には蛇の絵馬が奉納されています。
ちなみに、垳川対岸の神明の赤稲荷神社と東稲荷神社も真っ赤な堂宇です。
<参道>
<六地蔵>
参道右手と左手にそれぞれ「六地蔵」があります。
<庚申塔など>
参道左手に石仏が四基並んでいます。
左から、
・宝永7(1710)年の地蔵で、地蔵右側に「地蔵菩薩」の文字が見えます。
・延宝7(1679)年の地蔵で、地蔵右側に「光明真言」の文字が見えます。
・元禄2(1689)年の地蔵で、地蔵右側に「光明真言」の文字が見えます。
・宝永3(1706)年銘の庚申塔です。
<大師堂>
<本堂>