Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 築地居留地跡 アメリカ公使館跡とハナミズキ

  ○ アメリカ公使館跡(聖路加ガーデン)
  ○ アメリカ公使館跡石標(旧病院前)
  ○ アメリカ公使館跡石標(聖路加ガーデン)
  ○ ハナミズキ・イニシアチブ(聖ルカ通りと明石町緑道)
 
 麻布山善福寺

  ○ 最初のアメリカ公使宿館跡


アメリカ公使館跡 中央区明石町8-2

 現在、アメリカ大使館は、港区赤坂にあります。
 それ以前は、聖路加ガーデンの場所に、明治7(1874)年から同23(1890)年にかけてアメリカ公使館がありました。

(説明板)
「アメリカ公使館跡
   所在地 中央区明石町八
 開港によって日本に駐在した初代ハリスは、安政六年(一八五九)に現在の港区元麻布一‐六の善福寺に公使館を開設しました。ついで明治七年(一八七四)、築地居留地内のこの地に公館を新築し、はじめて形容を整えました。
 後にこれが手狭となり、同二十三年(一八九○)、赤坂の現在地(アメリカ大使館)に移転しました。
 公使館跡には、小松石の紀念碑が残されていました。大きさは、縦八六〜一○一センチメートル、横八四〜一一八センチメートル、厚さ一八〜三四センチメートル、うち、二個には当時のアメリカの国章である盾、一個には星と鷲と盾、二個には五稜の星が刻まれています。
 現在三個は聖路加国際病院のトライスラ―記念館の前に、二個は聖路加ガーデン内に移されています。
 この記念碑は、築地の居留地時代を伝える貴重な遺品として、中央区民有形文化財に登録されています。
  平成二十七年三月  中央区教育委員会」

    


アメリカ公使館跡石標(旧病院前) 中央区明石町10

 トイスラー記念館前の植栽に、アメリカ公使館に残された小松石3個(白頭鷲、星条旗、星)があります。

(説明板)
「アメリカ公使館跡石標
 アメリカ公使館は安政6年(1859)ハリスにより港区元麻布1‐6、善福寺に開設されたが、明治8年(1875)12月築地の外国人居留地内のこの地に新築され、はじめて形容を整えた。のち明治23年(1890)3月赤坂の現在地に移転され、現在の大使館となっている。
 最後の移転により、この地には8個の小松石の石標が残された。石標には白頭鷲、星条旗、星の3種類の彫刻が施されており、白頭鷲はアメリカ国鳥であり、星条旗に彫られた13の星は同国初期の13州を示す。
 8個の石標のうち3個は昭和59年(1984)10月に日米友好のシンボルとして、赤坂のアメリカ大使館に寄贈され、現在同大使館の前庭に設置されている。残る5個の石標は、築地の居留地時代を伝えるものとして中央区民文化財に登録されており、うち3個をここに、2個を聖路加ガーデンに設置する。
  1998年5月
  聖路加国際病院」

    


アメリカ公使館跡石標(聖路加ガーデン) 中央区明石町8-1

 アメリカ公使館に残された小松石2個の石標が聖路加ガーデンの植栽にあります。

(説明板)
「アメリカ公使館跡石標
 アメリカ公使館は安政6年(1859)ハリスにより港区元麻布1‐6、善福寺に開設されたが、明治8年(1875)12月築地の外国人居留地内のこの地に新築され、はじめて形容を整えた。のち明治23年(1890)3月赤坂の現在地に移転され、現在の大使館となっている。
 最後の移転により、この地には8個の小松石の石標が残された。石標には白頭鷲、星条旗、星の3種類の彫刻が施されており、白頭鷲はアメリカ国鳥であり、星条旗に彫られた13の星は同国初期の13州を示す。
 8個の石標のうち3個は昭和59年(1984)10月に日米友好のシンボルとして、赤坂のアメリカ大使館に寄贈され、現在同大使館の前庭に設置されている。残る5個の石標は、築地の居留地時代を伝えるものとして中央区民文化財に登録されており、うち2個をここに、3個を旧病院前に設置する。
  1994年5月
  聖路加国際病院」

    

    


○「友好の木 ハナミズキ・イニシアチブ」による寄贈について 中央区明石町12-1

 明石町は、かつて外国人居留地があり、アメリカ公使館が設置されるなど、アメリカとの関係が深い場所です。
 こうした地区の歴史を踏まえ、ハナミズキ・イニシアチブにより、ハナミズキが、聖ルカ通りと明石町緑道に植樹されています。
 説明板が聖ルカ通りにあります。
 

<桜とハナミズキ>

 尾崎行雄東京市長は、1909(明治42)年、タフト米国大統領夫人が、日本の桜をワシントンのポトマック河畔に植えたいと希望していることを知り、
 2000本の苗木をワシントンに送りますが、害虫が発見されすべて焼かれてしまいます。

 1912(大正元)年、今度は苗木6040本を、半分はニューヨークハドソン河開発300年記念式へ、
 残る半分はワシントンのポトマック河畔に植樹されました。

 米国政府は1915(大正4)年に返礼の特使を日本に派遣、白いハナミズキ40本が日本に寄贈され、
 日比谷公園や小石川植物園、東京府立園芸学校(現都立園芸高校)などに植栽されました。
 1917(大正6)年にも赤いハナミズキ10本が贈られ、新宿御苑などに植えられました。
 現存が確認されているのは都立園芸高校の1本だけとなっています。

 友好の木イニシアチブは、1912(大正元)年に日本から米国に桜の苗木が寄贈されてから100周年を記念し、
 米国から日本に3000本のハナミズキが贈られました。
 2012(平成24)年秋にまず東京で植樹した後、2015(平成27)年にかけて日本各地で植樹されました。
 

<「友好の木ハナミズキ・イニシアチブ」による寄贈について>

(説明板)
「「友好の木 ハナミズキ・イニシアチブ」による寄贈について
 ハナミズキは、大正元年(一九一二)に当時の東京市長尾崎幸雄 がアメリカに桜を三〇〇〇本寄贈した際、その返礼として大正四年(一九一五)に日本へ贈られた木であり、日米友好の象徴とされてきました。
 平成二十四年(二〇一二)、サクラ寄贈一〇〇周年を記念し、また今後の日米の友好関係を見据え、アメリカはハナミズキ約三〇〇〇本を日本各地に植樹する「友好の木ハナミズキ・イニシアチブ」プロジェクトを開始しました。
 明石町は、かつて外国人居留地があり、明治七年(一八七四)から約十六年間アメリカ公使館が設置されるなど、アメリカとの関係が深い場所です。
 こうした地区の歴史を踏まえ、このプロジェクトにより、ハナミズキ二〇本の寄贈を受け、聖ルカ通りと明石町緑道(左下図参照)に植樹しました。
  平成二十六年十月  中央区環境土木部水とみどりの課」

   

 ※ 憲政記念館のある国会前庭や各所に、ハナミズキ・イニシアチブのハナミズキが植えられています。
   中央区では、数寄屋橋公園にも、ハナミズキ・イニシアチブの同様の説明板とハナミズキがあります。→こちら
 ※ 日比谷公園には、当初のハナミズキの2世と3世が植樹されています。→こちら


○都旧跡 最初のアメリカ公使宿館跡 港区元麻布1-6-21 麻布山善福寺

<都旧跡 最初のアメリカ公使宿館跡>

 麻布山善福寺の山門を入るとすぐに、寺号標「麻布山善福寺」に続いて「都旧蹟 最初のアメリカ公使宿館跡」碑があります。

 「都旧跡 最初のアメリカ公使宿館跡」

   

 「開山弘法大師創立
  親鸞聖人御舊蹟地
  初代米國公使館趾」

  
 

<最初のアメリカ公使宿館跡(ハリス記念碑)>

 境内にハリス記念碑があります。
 ハリスの浮彫は、朝倉文夫の作のようです。

(碑表)
 「ON
  THIS SPOT
  TOWNSEND HARRIS
   OPENED
  THE FIRST AMERICAN LEGATION
   IN JAPAN
   JULY 7.1859

  DEDICATED BY THE AMERICAN-JAPAN SOCIETY
         DECEMBER 19 1930」

     

(碑裏)
 「本邦駐箚 初代米国公使館址」

  

(副碑)
 「此の碑は
  日米修好通商百年にあたり同記念行事運営会が復元したものである。
  昭和三十五年五月十二日」

    
 

<東京都指定旧跡 最初のアメリカ公使宿館跡>

(説明板)
「東京都指定旧跡
 最初のアメリカ公使宿館跡
   所在地 港区麻布一の六の二一善福寺
   史跡指定 昭和二八年一一月三日
   旧跡指定 昭和三○年三月二八日
 安政五年(一八五八)六月に締結された日米修好通商条約により、それまで下田にいた総領事ハリスを公使に昇格させ、安政六年(一八五九)善福寺をアメリカ公使館として八月に赴任します。当時の宿館としては、奥書院や客殿の一部を使用していましたが、文久三年(一八六三)の水戸浪士の焼き討ちで書院などを焼失したため、本堂、開山堂なども使用しました。明治八年(一八七五)に築地の外国人居留地へ移転します。当時の建物は戦災で焼失しています。
 寺には「亜墨利加ミニストル旅宿記」(港区指定文化財)が残されており、外国公使館に使用された寺の実態がよく伝えられています。
  平成二四年三月建設  東京都教育委員会」

  


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