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 諏訪神社(赤羽北)


○諏訪神社 北区赤羽北3-1-2 HP

 応永3(1396)年に、真頂院の第一世秀善和尚が信州諏訪大社より勧請したとされます。

<参道>

 東からの階段参道と鳥居、南からの鳥居と参道があります。

    
 

<由緒>

(掲示)
「東京都北区赤羽北三丁目鎮座
 諏訪神社
 祭神 建御名方命
  由緒
 当社は、別当寺であった真頂院の寺伝によれば、応永参年(一三九六年)九月同院第一世秀善和尚が創立したものと伝えられております。かって社前に袂杉と呼ばれた名木があり、この神社の神木となっていました。これはいつの頃か真頂院の和尚が諏訪(長野県)から両方の袂に入れて持って来た杉苗をこの神社の前と後に植えたものゝうちの前のものと伝えられています。
 現在この切株が本殿の裏に移されて残っています。
 新篇武蔵風土記稿には、この神社の末社に丸山権現と山王社があり、丸山権現がかっての袋村の鎮守で後にこの神社に改められた事や、山王社の傍の石碑(山王権現の石碑)寛政拾貮年(一八○○年)建立に建久五年(一一九四年)勧請と彫られているが、その出所は不明であることが記されています。
  昭和五拾七年八月貮拾貮日」

  
 

(説明板)
「諏訪神社  北区赤羽北三ー一ー二
 祭神は建御名方命です。別当寺であった真頂院(足立郡川口宿錫杖寺末寺)の寺伝によれば、応永三年(一三九六)九月、同院第一世秀善和尚が創立したものだそうです。末社には、稲荷神社二社、八幡神社、須賀神社、白山神社、猿田彦神社があり、それぞれ、宇迦之御魂命、品陀和氣命(応神天皇)、須佐之男命、伊邪那岐命、猿田彦命を祀っています。
 『新篇武蔵風土記稿』には、神社の末社である丸山権現がかつての袋村の鎮守で、後にこの諏訪神社に改められたことが記されています。
 かつて社前には、袂杉と呼ばれた名木があり、神社の御神木にもなっていました。これは、真頂院の和尚が、諏訪(長野県)から両方の袂に入れて持ち帰り、神社の前後に植えた杉苗の内の一つでした。
 現在御神木の切株は、本殿の裏に移され、残っています。
  平成十四年十月  東京都北区教育委員会」

  
 

<神楽殿>

   
 

<伊勢太々御神楽紀念碑>

 「伊勢太々御神楽 紀念碑 明治四十二年三月二十八日」

  
 

【石塔】

 東鳥居から入って左手、南鳥居から入って右手に石塔が並んでいます。

    
 

「村上講 冨士登山記念碑」

 「村上講 冨士登山記念碑」、昭和5(1930)年の建碑です。

  
 

「庚申文字塔/道標」

 角柱型の庚申文字塔です。天保13(1842)年6月の造立です。
 (正面) 「庚申(塔)」
 (正面左)「東 岩渕宿渡舩塲…」
 (左側面)「南 野みち」
 (右側面)「北 當村かし…」
 (裏面) 「西 中山道 志村…」

    
 

「駒型庚申塔/道標」

 安永7(1778)年9月造立の庚申塔です。
 (正面) 青面金剛立像
 (左側面)「是より 東 川口わたし場 十八丁 豊嶋郡袋村講中」

   
 

「回国供養塔」

 明和2(1765)年造立の供養塔です。

  
 

「八日講碑」

 「八日講諸願成就」とあります。宝暦7(1757)年2月の造立です。

   
 

「石坂供養塔」

 天保7(1836)年の造立の敷石供養塔です。

  
 

「武州御嶽山」

 「武州御嶽山」「大々神楽記念碑」とあります。
 昭和35(1960)年の造立です。

  
 

<社殿/本殿>

 狛犬は「大正二年五月建氏子中」です。
 拝殿に「諏訪神社」の扁額、拝殿内に「諏訪大明神」の扁額が掲げられています。

     

    
 

<補完水準点>

 社殿左手に、「几号」が刻まれた補完水準点があります。

   

     

(説明板)
「諏訪神社境内の水準点
 諏訪神社境内には、標石型の水準点が設置されています。明治九年以来、内務省は国土の測量のため、水準点の設置をおこなってきました。
 水準点とは、水準測量を行う際に基準とする点です。境内の水準点標石をよく見ると、それぞれの面に「内務省」「昭和五年」「荒川」「不B.M.1」と刻まれているのが判ります。「不」の字に見えるマークは「几(き)号」といって「不」の字の横棒が標高を表します。「B.M.」とは、水準点を表す英語「ベンチマーク」の頭文字で、そのあとの1は1号を表し、「荒川1号水準点」という意味合いになります。実はこの水準点は、それまでに内務省が設置した荒川筋の水準点を補完する目的で、昭和五年に新たに荒川筋に設置された十五ヶ所(内二ヶ所は入間川筋に設置)の水準点の一つです。記録によれば、諏訪神社境内の基準点を1号とし、荒川の上流方向に向かって水準点の設置が行われています。」

  
 

<袂杉(たもとすぎ)>

 社殿裏手の樹林に、切株が残されています。

(説明板)
「旧御神木の袂杉(たもとすぎ)
正面奥にある、鉄板を鍋状にした覆いが取り付けてある切り株が、旧御神木の袂杉です。当神社の創立者である真頂院第一世秀善和尚が出身地の諏訪から二本の杉苗えを着物の袂に入れて持参し、社殿の前後に一本ずつ植えたそうです。一本は早くに枯れてしまい。残りの一本は御神木として境内に残りましたがやはり傷みが激しく、昭和三十六年八月十五日に、地上一七○センチの所で伐られました。この切り株は、直径が約一三三センチあり、切り株の断面が腐らないように覆いがされ、現在の場所に移されました。」

   
 

<巨石>

  
 

<掲揚台>

 社殿右手に掲揚台があります。

  
 

<明治三十七八年戦役紀念碑>

 掲揚台の右手に日露戦役紀念碑があります。

  
 

【境内末社】

 社殿右手にある境内末社です。

   

 合殿「須賀神社」「稲荷神社」「第六天神社」「稲荷神社」「八幡神社」

  

 「猿田彦神社」「白山神社」

   

 「猿田彦大神」
  明治11年(1878)4月、「村講中」による造立です。

  


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